長男の誕生と発達障害がわかるまで

長男は予定日より1週間程早く生まれてきました。

微弱陣痛で陣痛は10分から5分間隔になり、また遠のくを繰り返し

24時間経ち、促進剤を使いました。

(促進剤を使う場合は同意書が必要です。)

促進剤をしてもなかな進まずまた24時間経ち、体力も限界・・・

破水を人工的にしてもらい、分娩台へ、、、なかなかいきんでも生まれず

次いきんでも難しければ帝王切開というところで

吸引と助産師さん二人にお腹をおされ最初は息をしておらず、お尻をたたかれて

泣いてくれました。(立ち会った夫談)

無理にいきんだからか、会陰切開をしましたが中も切れており、

麻酔をしてもらいましたが縫うのもとても痛かったです。

(産後も1月以上違和感が続きました・・・)

黄疸が強く、薬など飲んでたわけでもなかったのにすごく息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

産後5日経っても黄疸の値が強く息子は私の退院よりも1日遅くの退院でした。

産後はなかなか寝てくれず、げっぷも苦手、2時間ぐらいの細切れの睡眠に一緒に寝ていました。

日中の午前中に沐浴するとよく寝てくれたのでミルクを足して、日中長めに寝ていました。

(最初は夫のお母さんに2週間、その後私の母に2週間手伝いに来てもらっていました。)

とにかく夜泣きや長く寝てくれずずっと抱っこして寝ていました。

何度夜中にドライブにいったかなと・・・。

目が見えるようになってからもなかなか目が合わず、寝返りや首すわり、歩きはじめは

だいたい予定通りに進みましたが、発語がなかなか進まずでしたがそんなに気にしてませんでした。

人見知りもまったくなく、楽だなと思っていましたが、全くないのはおかしいと思えればよかったと今は思います。

癇癪がひどく、気に入らないとずっとなくひどいと何をしても2時間泣いているというぐらい

ずっと子供と二人きりの子育てと知り合いのいない土地で孤独だった私は働きはじめることにしました。

(長男1歳半、、)

保育園に預けるときの大泣きでだいぶ精神をやられ、すぐ風邪や熱を出し働く大変さを痛感しましたが、四六時中子供とだけというよりは私は大人と仕事での話ができるだけでだいぶ楽でした。

(妊娠を機に大学院までいって就職した研究職を退職したので仕事をしたい気持ちが強かった)

3歳頃、検診ではひっかかるほどではないけれど他のこと違うなと強く感じはじめました。

保育園の運動会などでは先生にきがつかれないうちに脱走・・・

友達と遊ばずずっと一人遊び、目があわない、指さしをしない、偏食・・・・癇癪。

(一人遊びスタンスなので保育園ではそんなに問題ならず指摘もされず・・・)

下の子が産まれ、違和感が大きくなり地域の発達相談→病院へ予約→半年待ち→診断となりました。

私はなぜうちの子がと悩みました。どこにいってもなかなか同じ年の子と仲良くできず距離をとり、この子なんか変といわれるのがショックでママ友も作れず・・・。

夫の家族がADHDであることがわかり、夫にも発達関連の傾向があることに気が付いてからは夫の実家に私だけ帰省しなくなりました。

(子供たちはかわいがってくれますが、嫌な思いも結構した+子供の発達障害がわかって)

当時発達障害は遺伝的要因が6~7割という情報をそのまま鵜呑みにしていました。

(夫の家族に不信感があったのです。)

今は原因はそれだけないということ、治るとはいわないが生きやすく改善ができることがわかって

それも含め前向きに過ごしています。

それぞれが幸せと思えるように人生を過ごしていくが第一目標ですから!!

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